関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は征夷大将軍となり、江戸の近くに鷹狩場を探します。
故郷の駿府(静岡)に気候風土が似た東金に決め、船橋からまっすぐで平坦な道(御成街道)を東金まで整備します。
そして東金での宿泊地として建てられたのが東金御殿です。
近くにあった小さな池を拡張し八鶴湖とし、家康は3度、2代秀忠は7度この地を訪れています。
駿府から取り寄せ、家康自ら手植えして七味唐辛子にしたみかんの木など、家康の存在を感じられるゆかりの地を散策して来ました。
八鶴湖の場所
東金御殿のあった場所は現在東金高校の敷地となっていて、その奥の山は東金城があった場所です。
歩いて1周回れるほどの八鶴湖はとても良い雰囲気です。
東金高校は小倉優子さんの母校です。
家康手植えのみかん
御殿のとなりにある本漸寺(ほんぜんじ)には、家康が植えたみかんの木があります。
立派な門には徳川家の葵の御門が植えられ、七味唐辛子の材料に使われたと言われています。
これが家康のみかんの木です。
近くには日吉神社など神社仏閣がありますが、ゆかりの地は家康によって整備されているようですね。
立派なお寺です。
東金は植木の町
東金は植木の町と言われています。
家康にゆかりのある静岡は松の産地として有名で、東金御殿が建てられる際に静岡の植木職人が来て東金の職人に松の造形技術を教えたのが始まりとされています。
その後、東金の気候に合う槙(まき)の生産が盛んになり、技術も向上し、江戸の武家屋敷などの庭園を手掛ける職人が増え、その技術が評価されるようになったのだそうです。
そして、「他に例のない伝統と産地の名声を堅持」するため、市内の生産者が集まって社団法人緑花木センターが設立され、それを継承した「みのりの郷」は、現在は県下最大級の植木・盆栽・鉢花を販売する道の駅となっています。
道の駅 みのりの郷 東金
千葉県東金市田間1300-3
https://minorinosato-togane.com/
最福寺
東金御殿から八鶴湖を挟んだ所にある最福寺は、家康と当時の住職 日善上人が対談した事で有名です。
お寺にはお二人の関係が紹介されていました。
家康72歳
来春上総東金で鷹狩りを指示。
御成街道造成を指示。
家康73歳
鷹狩りで多くの鶴や白鳥など収穫。
雨で中止の日に最福寺の日善上人と対談。
お互いに通じ合う物を認識。
その後、日善上人は駿府城に招かれ二人だけで密談されました。
「大坂方の豊臣家は自分にとっては恩人であり、御主人方にあたる。取り潰すのは忍びない。」
「家康様、お気持ちはわかりますが、民の事、国全体の将来の事を考えますると、心を鬼にして決断されるのは今しかありません。」
大阪冬の陣を前にこのような会話がされていました。
その10日後に豊臣征伐を決定し、各大名に出陣を命じます。
家康74歳
大阪夏の陣
その後、東金で2度目の鷹狩りが行われました。
大阪の陣の前に東金で縁起の良い鶴や白鳥を多く収穫できた事が精神の支えになった事。
幕府の長期的な安泰と、自らの長寿の願いとお礼を込めて、再度の鷹狩りを実施たものと思われています。
家康75歳 死去
🔽東金近郊の宿探しは楽天トラベル
まとめ
ドラマどうする家康で、家康の活躍を見る事ができますが、ドラマでは紹介されないこのようなエピソードはとても興味深く貴重です。
機会があったら東金への日「御成街道」についても痕跡を辿ってみたいと思っています。