柴又帝釈天に残る神社彫刻の名人「4代目波の伊八」圧巻の作品

帝釈天彫刻ギャラリーに残る4代目波の伊八の彫刻 パワー スポット
帝釈天彫刻ギャラリーに残る4代目波の伊八の彫刻
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東京都葛飾区柴又「帝釈天」の彫刻がすごいらしく、中でも千葉県鴨川市の神社彫刻の名人「波の伊八」が手掛けた作品が多く残っていると聞き見に行って来ました。

初代の波の伊八の作品は千葉県南部の神社仏閣に多く残っていて、龍が欄間から出て来そうな迫力のある作風が圧巻です。

「関東には伊八という波を彫らせたらすごい名人がいるから、関東で波を彫らない方がいい」と関西で噂になるほどの腕前で、立体的に見える手法は葛飾北斎やゴッホ、セザンヌ、ピカソなどの作品にも影響を与えたと言われています。

波の伊八は5代目まで継承されますが、4代目の本名「高石仙蔵」という人も腕が良く、帝釈天に出向いて多くの作品を残したという事です。

彫刻ギャラリーへ

帝釈天彫刻ギャラリー入り口

帝釈天の本堂である帝釈堂にお参りして「彫刻を見たいのですが」と聞くと、「そのまま右に行くとあります」という事で建物沿いに廊下を歩くと拝観受付がありました。

彫刻ギャラリーと庭園共通で400円。

ギャラリーと言っても帝釈堂の建物自体がギャラリーで、以前は雨風にさらされて、しかも金網に囲まれて見ずらかったそうなのですが、ガラス張りにして近くでじっくり見る事が出来るようにしたのだそうです。

帝釈天の彫刻ギャラリー

いきなり圧巻の光景です。

彫刻ギャラリー

すごいですよね。

これが1階と2階にびっしりありますので、かなり見ごたえがあります。

説明書きによると3段のうち真ん中の彫刻は、帝釈天第16世の願いにより法華経の経典の中で有名な説話を選び、大正末期から昭和9年に至る十数年の歳月を費やして完成しました。

まずは二天門の彫刻を4代目波の伊八と手掛けた加藤勘造の息子である加藤寅之助が「法師守護の図」を完成させました。

そして、彼の発案で残りの9枚を東京在住の名人彫刻師に依頼する事になり、大きな欅の彫刻材が各師のもとに運び込まれました。

しかし、関東大震災で焼失したりして時間がかかりますが、文化財的価値の極めて高い作品が出来上がりました。

その10枚を紹介します。

金子光清作

「塔供養の図」金子光清
日月燈明佛の眉間から光が放たれたのは法華経により救われる事の前触れです。一心に手を合わせ、その時に供えましょうという教えです。

木嶋江運作

「三車火宅の図」木嶋江運
仏教の教えを理解していない者は火宅の中で遊び戯れる子供と同じで何も恐れを感じません。父親は子供たちを救うために3つの車を用意したというお話です。

石川信光作

「一雨等潤の図」石川信光
佛の慈悲深い教えは、あまねく地上を潤す慈雨と同じです。雷神と風神が現れて雨を降らせると台地には緑があふれ、花が咲きほこります。そして天人たちも地上の拓延に舞い降りて来ました。

横谷光一

「法師修行の図」横谷光一
左下の洞窟で法師が修行をしていますが、虎や狼の危険があり心淋しいものです。その修行者を励ますために佛や象に乗った普賢菩薩が現れたという光景。

石川銀次郎

「多宝塔出現の図」石川銀次郎
多宝塔(多宝如来の塔)が地面から湧き出してきて人々は歓喜に震え、一心に礼拝している光景。

加府藤正一作

「千載給仕の図」 加府藤正一
阿私仏という仙人から法華経を教わるため、千年の間、給仕を捧げたという場面。

山本一芳作

「龍女成仏の図」山本一芳
女性は成仏できないという考え方がありましたが、龍王の娘が多くの教えを理解し不動の境地に達し、波の上で佛に宝珠を捧げている光景。法華経では女性が成仏できるという事を説示しています。

今関光次作

「病即消滅の図」今関光次
法華経は全世界の人々の良薬。法華経を聞くとたちどころに病は治り、不老不死の境地を得る事ができるという事で、薬を作る場面が描かれています。

小林直光

「常不軽菩薩受難の図」「法華経功徳の図」小林直光
常不軽菩薩は「常に人を軽べつしない」という修行をしていましたが、かえって迫害を受けました。法華経は寒さに火を得たように、子の所に母親が来たように、渡りに舟を得たように、闇に灯りを得たように救いの道を示すのです。

加藤寅之助作

「法師守護の図」加藤寅之助
法華経を受持・読・誦(覚える)・解説・書写する事を五種の修行と言い、修行する法師を天人も阿修羅も協力して守護するという光景。

4代目波の伊八の作品は?

ここまで見て来て波の伊八の名前が見当たらないので「4代目波の伊八の作品はどこにありますか?」と聞きに行ってみると「鳥や亀など、真ん中の10枚以外はほとんど波の伊八です」という事です。

4代目波の伊八の経歴を調べてみると、明治時代に若くして亡くなっているので、昭和初期に彫られた10枚には参加できなかったのですね。

勝浦の遠見岬神社の宮司に聞いた話では、帝釈天に滞在中の4代目波の伊八を訪ねて神社の彫刻を彫ってくれとお願いに行ったとか。

その話があって帝釈天に来てみたいと思いました。

5代目も一緒に来て帝釈天の彫刻を手掛けているそうです。

4代目波の伊八の作品

龍や波もありますね。

本当に素晴らしい作品の数々に感動です。

4代目波の伊八の作品
4代目波の伊八の作品
4代目波の伊八の作品
4代目波の伊八の作品
4代目波の伊八の作品

柴又帝釈天の場所

東京都葛飾区柴又7-10-3
03-3657-2886
http://www.taishakuten.or.jp/index.html

まとめ

素晴らしい彫刻の数々でしたが、明治から昭和初期の作品という事でまだ新しいので文化財になっていないようですが、今後間違いなく認定されるのではないかと思います。

それまで無事に保存できることを願っています。

千葉県内にある初代波の伊八の作品や、波の伊八の師匠である嶋村氏の作品などについての記事も書いていますので、あわせて読んでいただけたらと思います。

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コメント

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