東京 芝 増上寺の「勝運守り」が勝負運パワー最強だという事を知り、大切な時には黒本尊に祈願するようになりました。
そして、不思議な経験をたくさんしました。
「徳川家の家紋」と「勝運」と書かれた増上寺 黒本尊のお守りについて書きます。
勝運とは
家康は幾多の難を逃れ、数々の戦に勝ち続け天下統一の大願を成就し、この国に安泰の世を築かれました。
勝運とは物事全般が勝(すぐ)れた方向に運び、明るい幸福な生活が送れる事です。
初めて訪れた時には、門を出た瞬間に屋根から雪の塊が私の頭に落ちて来ました。その直後「賞を受賞しました。取材をさせて下さい」と電話がかかって来たり。
高校野球では自分の息子だけでなく、チームにも影響を及ぼすような展開になり、本当に何度お礼参りに来たことか。
勝運と言われるまでの経緯を調べるうちに、何度も決断を迫られた家康が最後に天下をとるための心の支えになったのだと思えてきました。
黒本尊とは
「黒本尊」は徳川家康が度重なる災難を除けて戦の勝利を得たという霊験あらたかな阿弥陀如来像で、「勝運」「厄除け」「諸願成就」の仏様として、江戸時代から人々の信仰を集めています。
芝増上寺本殿の右側にある安国殿に納められています。
黒本尊の名付けは家康で、最初は金箔で金色に輝いていましたが、長年にわたって香煙に薫じられ、人々の悪事災難を受け止めて来た事により、徐々に黒ずんだと言われています。
その黒本尊ですが、家康の前には清和源氏の守り本尊でした。
その後、平清盛の手にも渡りますが、元々が源氏の物だという事で常盤御前によって鞍馬にいた牛若丸の守り本尊となります。
その後は三河の国に渡り徳川家が信仰し、守護念持仏とします。
一向一揆の平定を祈願して平定させた事や、寝所に賊が侵入した時も仏前に念仏していたおかげで逃れられたと、ますます信仰が深くなっていきます。
戦でも身辺に安置し、片時も念仏を忘れなかったといいます。
戦のない平和な世の中になった晩年には、1日6万遍もの念仏を黒本尊にささげられていたと言われています。
そんな思いのこもった黒本尊ですが、
普段は秘仏として厨子に安置されていますが、年に3回、1月15日・5月15日・9月15日には御開帳されて祈願祭が盛大に執り行われます。
普段の日も10:30と13:30に御祈祷があり、当日に申し込むと御宝前で諸願成就の御祈祷を受ける事ができます。
そして小田原の戦いを終えた家康は江戸に入り、増上寺を徳川家菩提寺に定め黒本尊を安置しました。
ここまで知ると本当に尊く思えて来ます。
「安国殿」という名称は徳川家康の法号である「安国院殿徳蓮社崇譽道和大居士」に由来しています。
増上寺 安国殿の場所
東京都港区芝公園4-7-35
03-3432-1431
徳川将軍家墓所
安国殿の裏には徳川家の墓所があって、500円で入る事ができます。
・2代秀忠夫妻
・6代家宣夫妻
・7代家継
・12代家慶
・14代家茂
・静寛院和宮
・将軍生母側室等 が眠っています。
まとめ
勝運とは物事全般が勝れた方向に運び、明るい生活が送れる事です。
徳川家康は幾度となく降りかかる危機を逃れ、天下を統一の大願を果たし戦のない平和な世の中を実現するという大願を成就しました。
それは黒本尊の御加護だと信じる人が多かったことにより、江戸の昔より「勝運」「厄除け」「諸願成就」の仏様として庶民に崇拝されてきました。
勝負の時には自分のため、また大切な人のために祈願してその御加護をいただきに訪れてみてはいかがでしょう。
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