神田明神は徳川家康により江戸城の表鬼門を守護のため現在の場所に遷座され、関ヶ原の戦いでは神田祭の日に勝利したと言われています。
現在でも江戸総鎮守として多くの人々の崇敬を受けていて、えど三大祭の1つである神田祭は天下祭とも呼ばれています。
だいこく様・えびす様、そしてまさかど様が祀られていて、三の宮のまさかど様は平将門の事で、弱きを助け強きを挫くその性格から「東国の英雄」と言われ、民衆より篤い信仰を受けていましたが、その死による因縁が今に残り、参拝の仕方を間違えると良くない事が起こると言われています。
神田明神とは
正式名称は神田神社です。
東京都心108町会の総氏神で、神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内、そして市場の発祥の地の氏神様として、青果市場・魚市場の人々からも崇敬されています。
「一の宮」
大巳貴命 おおなむちのみこと(だいこく様)
別名 大国主命(出雲大社の御祭神)
国土開発・殖産、医薬・医療・国土経営・夫婦和合・縁結び
「二の宮」
少彦名命 すこなひこなのみこと(えびす様)
商売繁昌・医薬健康・開運招福
「三の宮」
平将門命 たいらのまさかどのみこと(まさかど様)
除災厄除
神田明神の場所
東京都千代田区外神田2-16-2
https://www.kandamyoujin.or.jp/
将門塚
武蔵国豊島郡芝崎村、現在の大手町の一等地にぽっかり建物の無い場所があります。
元の神田明神があった場所であり、平将門の首を祀ってある場所です。
平安時代中期、藤原氏の政権により庶民が非常に苦しい生活を強いられていました。
そこで平将門は命を懸けて民衆たちを守るため、関東を制圧し政治改革を図りました。
しかし、自らを新皇と称した事により、朝廷に反逆する者として討ち取られてしまいます。
首は京都に送られ獄門にかけられましたが、白い光を放ちここまで飛んで来たのだとか。
大地は共鳴し太陽も光を失って夜のようになったとされ、村人は恐怖しこの場所に埋葬しました。
この周辺では昔から天変地異が頻発し、現代でも取り壊そうとして工事関係者が事故に会ったり、良くない事が多く起こり、将門公の神域と恐れられ手厚く供養されています。
近くのオフィスでは将門塚にお尻を向けないように席を配置してあるとか。
数多くの寺で供養してもなかなか祟りは無くならず、神田明神にも合わせて祀った所でようやく鎮まり、その後はこの地の守護神となっています。
この件で、平将門を倒すための祈願する場所として建てられたのが成田山新勝寺です。
ですので、神田明神と成田山をはしごしたり、違う方のお守りを持って参拝したりすると良くない事が起こると言われています。
平将門役をやった俳優が新勝寺の豆まきに参加しなかったり、名前に藤がつく人は神田明神は注意みたいな事も言われたりしています。
あくまでも信じるかどうかの話であります。
将門塚の場所
東京都千代田区大手町1-2-1
不思議な出来事
私は自分のルーツを調べ、坂東平氏の流れなのではないかと思ってから、平将門を祀る神田明神へ足を運ぶようになりました。
今思えば成田山に行くチャンスは何度もあって、神田明神に行くようになる前の事、成田市役所に用があった帰りに寄ってみようと参道の駐車場に車を停めたにも関わらず、何となく「またにしよう」という気持ちになり帰って来た事が2度あります。
そして、最近の事。
家族で「深川祭りを見に行ってみよう」という事になり2時間の道のり、半分くらいの所まで来た時「なかなか着かなくない?」って私が言いました。
「そうだねすごい走ってるような気がしてたけどまだここなんだね」と家族も言っています。
ここまで来たから行ってみようという事で到着したら、お神輿が出ない日でほとんど人がいませんでした。
富岡八幡宮でお詣りし、ふと見たら向こうに露店が出ているようなので行ってみる事に。
そこは深川不動尊でした。
神社はどこでも行く私ですが、寺は基本的に自分の宗派以外はあまり行かないので一応参拝して車に戻りました。
帰り道に鳥居の「成田山」という文字が気になりました。
帰りの車中で娘が熱を出し、帰宅後に4人とも発熱して1週間動けませんでした。
コロナの検査は陰性でしたので、原因不明という事になるのでしょうか?
この日行かなかった息子だけ何ともありませんでした。
回復後すぐに神田明神へ行って家内安全の御祈祷をしてもらいました。
まとめ
パワースポットに行く時、何となく呼ばれてないような気がする。と思ったりする事はないですか?
そういう時にはやめておくのがいいと言われています。
逆に風で葉っぱが舞ったり、歓迎のサインを感じる事もあります。
全く気にしない人はいいですが、パワースポットに行く人は自分の未来を良き方向に導きたいと思っているのではないかと思います。
自分に合った場所を見つけて、末永く崇敬できるといいですね。