日蓮聖人誕生の地に今も語り継がれる不思議な出来事と奇跡

日蓮生誕の地を巡る 千葉 の パワー スポット
日蓮上人生誕の地を遊覧船で巡る
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千葉県鴨川市小湊は日蓮聖人が生まれた場所で、この地には日蓮聖人誕生時に起きた不思議な出来事が語り継がれています。

この三奇瑞(さんきずい)と言われる3つの奇跡のうち「マダイの出現」は遊覧船で見る事が出来て、その他の伝説の地も海から見る事が出来ます。

私は鯛の浦遊覧船で鯛を見た後「それでは次に日蓮聖人ご誕生の地へ向かいます」という事で、日蓮聖人が生まれた場所は誕生寺ではなく他にある事を知りました。

明応と元禄の地震による津波で大きく地形が変わり、日蓮聖人の生家や誕生寺は海中に没し、現在でも調査は続いていますが正確には特定出来ていないとの事。

ですが、この土地では日蓮聖人の化身とされている鯛は今でも出現し、禁漁とされ供養されています。

小湊に語り継がれる3つの軌跡

貞応元年(1222)2月16日、日蓮聖人は小湊に生まれました。

その時に起きた不思議な出来事は「三奇瑞(さんきずい)」と言われ、古くより語り継がれています。

誕生水
日蓮聖人が産声を上げた時、突然家の庭先から清らかな清水が湧き出しました。今でも、潮が引いた時しか現れない場所に真水が湧いている場所があるのだとか。

蓮華ヶ淵
近くの砂浜では時ならぬ蓮華の花が海辺一帯に咲き誇りました。この砂浜は「蓮華ヶ淵」と呼ばれ、蓮華の花のように美しく輝く砂は「五色砂」と呼ばれています。

鯛の出現
日蓮聖人誕生を祝うかのように、海面近くに真鯛が群れをなして現れました。この一帯に生息する鯛は、日蓮聖人の化身・分身として尊信され禁漁が守られています。大正11年(1922)には国の天然記念物に指定され、手厚く保護されています。

鯛の浦遊覧船

小湊港

日蓮宗大本山誕生寺の階段を下りると鯛の浦遊覧船乗り場があります。

写真をよく見ると誕生時の屋根が見えますが、左の大きな白い建物のあたりが乗り場です。

遊覧船からの景色

5分ほどでポイントに到着。

鯛の浦の鯛

船頭が餌を撒くとメジナに混ざって大きな鯛が現れました。

「そりゃあ餌をやれば来るでしょ」という人はいるかもしれません。

磯魚のメジナと違って鯛は水深30~150mに生息する群れを成さない深海性の回遊魚なので、群れで浅瀬に定住する事は例がなく学会でも未だ解明されていないのです。

波題目と投げ餌の始まり

文永元年(1264)10月、日蓮聖人が父祖の供養のため当地に帰られたおり、海に向かって祈られ南無妙法蓮華経のお題目を書かれた。すると波の上にその文字が現れ、同時に多数の鯛が集まって、そのお題目を食べつくしてしまいました。村人たちはその奇跡に驚き、鯛を日蓮聖人の息栖型と考えて信仰し、明神様にお祀りして殺生禁断の聖地とし、数百年間餌を供して守護し続けてきました。

日蓮聖人誕生の地へ向かう船

船は三奇瑞の地へ向かいます。

小弁天や五色砂の蓮華ヶ淵を海から見る事が出来ます。

漁師達は鯛の浦海上への出入りの都度、海上安全と大漁を祈願しました。

現在も年頭には船を連ねて地域中で鯛祭りが行われています。

遊歩道

蓮華ヶ淵には遊歩道でも行けます。

小弁天と大弁天

手前が小弁天で奥に見えるのが大弁天です。

潮が引くと歩いて渡れます。

蓮華ヶ淵の五色砂

蓮華ヶ淵の五色砂がここです。

このあたりに日蓮聖人が生まれた集落があったと言われています。

昭和48年(1973)10月13日に昭和天皇・皇后両陛下が訪れ、詠まれた歌が残されていました。

波の間に 姿を見せつつ 鯛のむれ ふなべにあつまり あまたよりくる

鯛の浦と妙の浦

日蓮宗門の一高僧が、聖人の主唱された妙法蓮華経の五文字を配し、当地の奇岩、奇島、明媚な風景に「妙の浦」「法が台」「蓮華ヶ淵」「経巻掘」と名付けました。

住民は妙の浦と呼び親しんで来ましたが、観光的な名声は鯛の浦の方が高く、特別天然記念物の名称も鯛の浦になっている事から、観光的名称は「鯛の浦」で地名的名称は「妙の浦」という感じになります。

鯛の浦遊覧船の場所

千葉県鴨川市小湊183-8
0470-95-2318
http://www.tainoura.jp/
大人 1,200円
小学生 600円
未就学児は無料
障害のある方(付き添いの人も)半額
ペットも乗船可

鯛の浦近くの宿

三日月シーパークホテル安房鴨川(旧鴨川ホテル三日月)

こみなと漁師料理 海の庭

海鮮問屋の宿 くろしお

魚彩和みの宿 三水

旅館 安房家


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まとめ

徳川家康の側室で日蓮宗を篤く信仰された養珠院(お万の方)の孫の水戸光圀は、織田信長の伝教弾圧策によって廃寺にされていた誕生寺の再建に私財を供して尽力されました。

これにより徳川四代将軍家綱から10万石の格式が与えられ、海上10石も寺領として復活し、再び殺生禁断の聖地となりました。

天保15年(1840)年ころになり、ほぼ現在の景観を誇る誕生寺が出来上がりました。

多くの日蓮宗信者が聖地としてあがめ、当地漁民の奉仕によって鯛の浦詣でが盛んに行われるようになりました。

日蓮聖人生誕800年になりましたが、大津波で集落が無くなってしまっても現れる鯛の姿に、日蓮聖人の生き姿を拝もうと今も多くの人が鯛の浦詣でに訪れます。

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